|
現在、削除の方針に従って、この項目の一部の版または全体を削除することが審議されています。 削除についての議論は、削除依頼の依頼サブページで行われています。削除の議論中はこのお知らせを除去しないでください。 この項目の執筆者の方々へ: まだ削除は行われていません。削除に対する議論に参加し、削除の方針に該当するかどうか検討してください。また、本項目を既に編集されていた方は、自身の編集した記述内容を念のために控えておいてください。 |
| このページは荒らしや編集合戦などのため、方針に基づき編集保護されています。 現在の記述内容が正しいとは限りません。ノートで合意が形成されるなど、保護を解除できる状態になった場合、保護の解除を依頼してください。 |
| この項目は過剰な加筆が行なわれ、読みにくくなっています。 あまり重要ではない事項を細かく解説することは、むしろ閲覧者の理解を妨げ関心を損ないます。これ以上の内容の増大は歓迎されません。内容の削減をノートで検討しています。 |
| この記事は中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、あるいは議論中です。 そのため偏った観点によって記事が構成されている可能性があります。詳しくはノートを参照してください。 |
| この項目は現在進行中の事象を扱っています。事象の進行状況により内容や状態が急速に変わることがありますのでご注意ください。 なおこの内容は不特定多数のボランティアにより自由に編集されていることを踏まえ、自身の安全利害に関わる情報は自己責任でご判断ください。投稿者は性急な編集をしないや検証可能性を確認し、正確な記述を心がけてください。ウィキニュースへの投稿も検討してみてください。 |
| 麻生 太郎 (あそう たろう) |
|
|
|
|
|---|---|
| 在任期間 | 2008年9月24日 - |
|
|
|
| 生年月日 | 1940年9月20日(68歳) |
| 出生地 | 福岡県飯塚市 |
| 出身校 | 学習院大学政経学部卒業 |
| 学位・資格・称号 | 政治学士(学習院大学・1963年) |
| 前職 | 麻生セメント(現:株式会社麻生)社長 日本青年会議所会頭(1978年度、任期1年) |
| 世襲の有無 | 5世 高祖父(牧野の父)・大久保利通 高祖父(牧野の妻の父)・三島通庸 曽祖父(麻生太郎【先代】の父)・麻生太吉 曽祖父(麻生太郎【先代】の妻の父)・加納久宜 祖父(父方)・麻生太郎【先代】 曽祖父(母方)・牧野伸顕 祖父(母方)・吉田茂 父・麻生太賀吉 義父・鈴木善幸 (初当選は父の引退から24年後) 義弟・寛仁親王(信子の夫) |
| 選挙区 | 福岡8区 |
| 当選回数 | 衆9回 |
| 党派 | 自由民主党 |
| 没年月日 | |
麻生 太郎(あそう たろう、1940年〈昭和15年〉9月20日 - )は、日本の政治家、実業家。自由民主党総裁(第23代)。内閣総理大臣(第92代)。衆議院議員(9期)。為公会(麻生派)会長。妹は寛仁親王妃信子。クリスチャン(カトリック)である。
経済企画庁長官(第53代)、内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)(第2代)、総務大臣(第3・4・5代)、外務大臣(第137・138代)や、自由民主党政務調査会長、自由民主党幹事長を歴任。
モントリオールオリンピッククレー射撃(クレー・スキート競技)日本代表[1](41位)。元麻生セメント(現・株式会社麻生[2])代表取締役社長。
目次 |
福岡県飯塚市に麻生太賀吉・和子の長男として生まれる[3]。麻生塾小学校(閉校 後の学校法人麻生塾・麻生専門学校)を経て、小学3年生の頃上京し、学習院初等科に編入[4]。
1963年に学習院大学政経学部を卒業した[5]。 学習院大学卒業後は、下記のような海外留学生活を送ったとされている。
スタンフォード大学・大学院(米国)では政治学、ロンドン大学・大学院(英国)では経営学を学んだと2001年4月の自民党総裁選挙候補者プロフィール中には記載されていたが、現在の本人オフィシャルサイトにこの期間についての一切の記載はない。 [6]
尚、米国での留学生活は麻生が過剰にアメリカナイズされる事を恐れた実家の意向で中断され、一旦帰国した後に、再度ロンドン大学に留学したとされている。[7]
華やかな留学歴を持つが、肝心の学位は取得できないまま帰国しており、留学中は学業をはおろそかにしていたと自ら語っている。[8]
帰国後の1966年に実家の麻生産業(後に清算)に入社し、1960年代後半にブラジルサンパウロ市に1年近く駐在していたことがあると本人は語っている。[9]
その後、1970年から2年間に渡って西アフリカのシエラレオネにて、同国のダイヤモンド産業国有化政策実施後に地元有力者から鉱区の提供を受けた麻生家の現地駐在員として、ダイヤモンド採掘業に従事していた事が知られている。[10] [11]
1973年にセメント事業の分社化の後にグループ中核企業となった麻生セメント(現:株式会社麻生)の代表取締役社長に就任。炭鉱業からセメント業への転換を成功させた。なお、麻生産業時代にまた、社長業の傍らで、1976年のモントリオールオリンピックにクレー射撃の日本代表選手として出場(結果は41位)している。
1979年10月、第35回衆議院議員総選挙に(旧福岡2区、現:福岡県第8区)から出馬。初当選を果たし政界入りする。落選した第37回衆議院議員総選挙を除き、現在まで全ての総選挙で当選している。宏池会に所属。
1996年に第2次橋本内閣の経済企画庁長官に就任し、初入閣。
1999年1月、党内で長年所属した宏池会を離脱し、元総裁河野洋平を会長に大勇会(現在の為公会、通称”麻生派”)旗揚げ。
2001年4月、01年自民党総裁選に出馬し、小泉純一郎、橋本龍太郎と戦い31票で3位。その後発足した小泉政権では党政務調査会長を務め、2003年9月からは総務大臣として入閣し、郵政民営化を担当した。
2006年9月、06年自民党総裁選に立候補するも内閣官房長官(当時)の安倍晋三に敗れる(安倍:464票 麻生:136票 谷垣禎一:102票)。
2007年3月20日、衆議院議員在職25年を迎え、衆議院より院議をもって表彰された。
2007年9月、07年自民党総裁選に立候補する。党員票では福田康夫を僅差で上回るも133票差で敗れる(福田:330票 麻生:197票)。
2008年9月、08年自民党総裁選に4度目の立候補をし351票を獲得。自民党総裁に就任する。
2008年9月24日、第92代内閣総理大臣に就任。麻生内閣を組閣する。就任の際、「日本を明るく強い国にする」と述べた。
2008年10月2日、麻生内閣メールマガジン「太郎ちゃんねる」を配信。創刊号では景気対策の必要性を訴えているほか、「麻生内閣の一員になったつもりで忌憚のない意見を」と呼びかけている。内閣としては初の動画も用意している。
道路整備などを主に主張する[2]エコノミストのリチャード・クーが「経済政策の理論的支柱」として麻生の財政出動を中心とする政策作りに協力している[12]。
定額減税や公共事業を中心とする財政出動に積極的な意向を示しており、財政健全化よりも景気対策の優先を提唱している[13]。2008年になってからは、財政健全化を目指した小泉政権の構造改革路線の推進を否定し、「基礎的財政収支(プライマリーバランス)の11年度黒字化目標」の延期に言及している[14]。
消費税の増税に関しては、「もはや、広く薄い負担を税制に追加していくとしたら消費税しかない」[15]として消費税増税を示唆しつつも、2008年9月には「消費税増税を早期に行えば、著しく景気を冷やす」として増税には消極的な態度に変わっている。ただし、2011年以降に10%の消費税を導入する意向を示している[16]。
労働問題に対しては、「企業の生産活動で得られた付加価値の分配は個々の企業が判断する」と述べ、国としては是正する意思の無いことを明らかにした[17]。
首都圏と地方の間の格差問題については、「地方の自立には、きちんと財政出動をやって、道路、交通網を整備しないといけない」として地方経済振興の為に公共事業が必要との考えを示している[18]。また、「(地方の)医療、介護が一番しんどいのではないか。病院をつくるより病院と結ぶ道路を造った方が安い」と述べ、道路建設により地方の医療が向上するとの考えを示している[19]。
2008年10月30日には、世界的な金融危機と景気低迷への対策として事業総額26兆9000億円にも及ぶ追加経済対策を発表。小渕内閣の地域振興券とよく似た、2兆円を超える給付金(「4人家族で6万円程度になる」としている)を全世帯に支給し、過去最大規模の住宅ローン減税を実施するなど、バラマキ色の強い内容と評される。証券アナリストなどは、過去の「地域振興券」が消費ではなく貯蓄に回ったことから、今回も「景気を浮揚させる効果は期待できない」との見方を示している[20]。11月26日に開催された全国町村長大会では定額給付金を巡る不満が噴出した[21]。
「景気の麻生」[22]を自認しているが、「株を満期まで持っている人にとっては、時価会計は手続きが大変になる」[23]などと株に満期があるとの勘違いをしており、円高の利点として「ガソリンが安くなった」[24](ガソリンが安くなった本当の理由は原油安)と誤った認識を示すなど、野党や世論からはその評判を疑問視する見方も存在する[25]。
外務大臣時代に、当時のブッシュ政権の中心にいたネオコン(新保守主義者)の考え方に近い、自由と民主主義、法の支配、市場経済を重視する「価値の外交」(価値観外交)と、同じ価値観を持った国家と連帯する「自由と繁栄の弧」を唱えた。
日本統治時代の朝鮮・台湾に対しては肯定的側面もあったとする発言をしている。2003年5月31日、東京大学学園祭において「創氏改名は朝鮮人が望んだ」(満州や日本国内で経済活動をする上で朝鮮名が不利な場合があったという文脈での発言)、「日本はハングル普及に貢献した」と述べた(当該項目も参照)。また、2006年2月4日の福岡市での講演において、日本が植民地台湾の義務教育に力を入れたと指摘した上で「台湾はものすごく教育水準が上がって識字率などが向上したおかげで今極めて教育水準が高い国であるが故に、今の時代に追いつけている」「我々の先輩はやっぱりちゃんとしたことをやっとるなと正直そのとき思った」と述べた。
2007年2月19日、衆議院予算委員会において米下院に提出された慰安婦問題をめぐる対日非難決議案にある「日本軍による強制的な性奴隷化」といった記述について、「客観的な事実にまったく基づいていない。はなはだ遺憾だ」と述べた[29]。
2007年3月21日、長崎県時津町で講演。日本独自の中東和平外交として、ヨルダン渓谷の開発を進める「平和と繁栄の回廊」構想に触れ、「米国人にできないことを日本がやっている。日本人というのは信用がある。青い目で金髪だったら多分駄目よ」と述べた。「われわれは幸いにして黄色い顔をしている。そこ(中東)で搾取をしてきたとか、ドンパチ、機関銃撃ったとか1回もない」と語った。
2006年5月26日、アジア各国の政府首脳や経済界リーダーを招いた国際交流会議「アジアの未来」において「近代の生んだ毒......。それはすなわち『国民国家』であり、『自民族中心主義』という意味に規定される『ナショナリズム』でした。この2つは、地図に黒々と、太い国境を引く思想でした。また時として、その国境を外へ外へ、無理やりにでも広げていくのをよしとする考えでした。(中略) 他人(ひと)のことは言いますまい。日本人は一度、国民国家とナショナリズムという、強い酒をしたたかにあおった経験があります。皆さんこれからのアジアは、国民国家の枠、ナショナリズムの罠に絡め取られるようではいけません」と述べた[30]。
2008年10月2日には日本の過去のアジア支配に対する反省と謝罪を明確にした「村山談話」について、「いわゆる村山談話と17年8月15日の小泉純一郎首相の談話は、先の大戦をめぐる政府としての認識を示すものであり、私の内閣においても引き継いでいく」として麻生内閣でも、明確に堅持する方針を示した[31]。
また、2008年10月5日には従軍慰安婦問題に関して旧日本軍の関与を認めアジア諸国に謝罪した河野談話について「政府の基本的立場は現在も談話をふしゅうする」と述べた[3]。マスコミは「踏襲(とうしゅう)」の読み間違いとして報道した。
2008年10月31日には航空自衛隊幕僚長の田母神俊雄が旧日本軍の侵略行為を否定する論文を執筆していたことが判明したが、麻生は記者団に対して「個人的に出したとしても、立場が立場だから適切ではない」と述べた[32]。
(参考:麻生の歴史認識について[4][5][6][7][8][9]YouTube動画,安倍・麻生・谷垣三者討論)
麻生内閣メールマガジン「太郎ちゃんねる(2008年12月4日配信)」において、「1941年12月に第二次世界大戦が真珠湾攻撃で始まるんです」と発言した。
政治家の靖国神社参拝問題については、政教分離が問われるなど一番の問題は靖国神社が宗教法人であることだとしており、2006年の総裁選では総理になった場合に靖国神社を非宗教法人化(国が関与できる特殊法人への移行)し、国立追悼施設にすることを公約に掲げた。2008年10月にも「神社という名前が問題なら、靖国廟でも招魂社でもいろんな形がある」として、非宗教法人化を支持する姿勢を示している[33]。
2006年には、「首相になった際には靖国参拝を自粛する」という考えを示していた[34]。2008年に首相に就任した直後には「行くとも行かないとも答えることはない」として曖昧な姿勢を見せている[35]。外交問題に飛び火した小泉首相の参拝について「中国が(参拝を中断しろと)言えば言うほど行かざるを得ない」とし、「これはタバコを吸うなと言うと吸いたくなるのと同じだ」と述べた。麻生本人は外相在任当時、外務大臣は個人ではないという理由で靖国神社には参拝しなかった。
A級戦犯の分祀については、「靖国神社に戦死者でない人が祭られていることが非常に大きな問題点だ」「(首相の参拝について)他の国々、国内からいろいろ言われないよう、英霊から感謝されるような形で参拝できる制度を考えるべきだ」との見解を示している[36]が、靖国神社が宗教法人である限り政治の介入による分祀は厳に慎むべきであるとしている[37]。そのため、靖国問題の解決策に関しては、靖国神社の非宗教法人化を行い、国が関与できるようにしてA級戦犯を分祀することを「1つの方法」と発言し、「望ましい」として賛成している[38]。
2006年1月28日、名古屋で行われた公明党議員の会合で、「英霊は天皇陛下のために万歳と言ったのであり、首相万歳と言ったのはゼロだ。天皇陛下が参拝なさるのが一番だ」と述べ、「(天皇が)公人か私人かという論議のため参拝できなくなったが、解決の答えはいくつかあるはず」と付け加えたが、批判を浴びると「今の状況で天皇陛下に参拝していただきたいとは一切言ってない」と発言を修正し、釈明した[39]。
日本と韓国の緊張関係について、「両国が靖国問題にあまりにも執着しているのが最も大きな問題だ。 当分はマスコミが靖国問題を書かないのが一番よさそうだ。 問題をあおって増幅させた」との考えを表明している[27]。
2006年5月26日に都内のホテルで開かれた国際交流会議「アジアの未来」で講演し、「23日に自分がカタールで中韓の外相と会談したので関係改善の流れが出て来た」と発言。これに対して韓国産業資源部長官は、「アジア共同体形成に関して各国間合意はできたが、韓中日の共同体構築努力が他地域に比べ足りない、原因は一部政治家の靖国参拝や歴史問題だ、ヨーロッパがいかにしてこれを克服したか考えて欲しい」と講演した[40]。
身長175cm、体重70Kg、血液型A型。名門一家に育ち、麻生財閥の元社長であるが、「首相の家庭なんて幸せなもんじゃねえ」「両親にほったらかしにされて育った」「生まれはいいが、育ちは悪い」と本人は語っている。基礎的な漢字をたびたび読み誤り、マスコミを引き連れたパフォーマンスで本屋へ行った際に1ヶ月前に買った本と同じ本(日下公人の「日本はどれほどいい国か」)を再度買ってしまうなど、本を読んでいないと推測された[41]。また、口が上がり気味なため雑誌などの似顔絵ではへの字に描かれることが多い。
大学進学に関しては「東大を受験したい」と父親に言ったが、父親から『官立大学はお金がない人がいくところで、お金持ちのおまえが行くのは税金がムダ。それに東大は役人になるためにいくところだ。おまえ役人になるのか?』と言われたがために、東大へ行けないこともなかったがあえて私立の学習院大学へ進学した、と自著で述べている[42]。
特徴はべらんめえ調の軽妙な語り口と毒舌も織り交ぜた発言で、街頭演説などで聴衆の人気を博した。しかし、過去の失言が指摘されたり、問題視されることがしばしばある。
夢実現21世紀会議の議長を務め、「国づくりの夢実現検討委員会」を通じて日韓トンネルの実現に向けた政策提言を発表していることが2003年に自民党機関紙で伝えられた。また日韓議員連盟の副会長や、日韓海底トンネル推進議員連盟の九州支部顧問も務めている。
海外留学などの経験から、英語力が堪能であるため海外などでのスピーチは通訳なしで英語で行っている。その一方で、「踏襲」を「ふしゅう」と読んだり、「未曾有」を「みぞうゆう」と読んだり、「詳細」を「ようさい」と読んだりと、日本語の能力に関しては疑問符がついている[43]。
総理大臣に就任以後も高級ホテルや高級料亭などを頻繁に行き来していることが報道されている。政治資金収支報告書によると、2006年度には資金管理団体「素淮会」から高級クラブなどに173回、合計で約3500万円を支出している[44]。2007年度にも「ミシュランガイド」東京版で最高の3つ星を獲得した寿司店など高級店を「会合」名目で利用している[45]。
2004年9月に、3年10か月の国民年金保険料未払い期間があったことが判明している。民主党代表(当時)の菅直人が「未納三兄弟」と呼称したうちの1人である。
詳細は「政治家の年金未納問題」を参照
2008年10月24日の閣僚資産公開で福岡県の実家や都内一等地の邸宅、軽井沢の別荘など併せて4億395万円の個人資産を所持している事が分かった。前首相福田康夫が所持している総資産の6倍に及び[46]、国会議員の中でも有数の「セレブ議員」[47][48]と報道された。
敷地面積2400平方メートル、土地代だけで時価50億円を超えると言われる大邸宅を渋谷区神山町の一等地に所有している[49]。また、弟の泰氏の土地を併せれば5000平方メートルを優に超える。敷地内には木造3階建ての洋館が屹立し父親の麻生太賀吉氏が存命中の頃は専属コックがおり、フランス料理のフルコースなども調理していた。報道機関では「麻生御殿」とも呼称される[50]。東京の大邸宅の他には約2万坪の実家が福岡県飯塚市に存在する[51]。
クリスチャン(カトリック)である。靖国神社に参拝することもある(入閣している時はこれまで参拝してない)が、自身が神道ではなくクリスチャンということもあり、靖国神社の非宗教法人化を提唱している。終戦記念日の8月15日ではなく、例大祭に合わせて参拝することが多い(カトリックでは8月15日は聖母の被昇天という祭日であり、この日に祝いのミサがあるという事情もある)。
クールビズスタイルになってからノーネクタイのシャツの襟の下に見える金色の鎖は、10代から50年以上首にかけているカトリック信徒としての十字架の鎖部分である[52]。
読書が趣味。特に漫画好きであり、一部からは漫画文化のよき理解者として非常に人気が高い。自身のウェブサイトに掲載している『ビッグコミックオリジナル増刊』2003年7月2日号のインタビュー[53]によれば、自分の車内には常に最新の週刊コミック誌を置いているという。漫画好きであることは外国の首脳にも知られており、ポーランド外相からは、現地(ポーランド語)版の『犬夜叉』を寄贈されている[54]。
漫画好きであることを自身の政策や政治的主張に利用することも多く、2006年や2007年の自民党総裁選の際には秋葉原で街頭演説し、漫画を始めとした日本のソフトコンテンツ産業の対外競争力・影響力を評価し、日本人であることに自信を持つべきであると述べた。2006年4月にデジタルハリウッド大学で行われた政策スピーチでは、主人公が交渉人として世界を股にかける漫画である勇午について触れ、「『勇午』を読んでない人は外交なんて語っちゃダメ」と論じた[55]。 2007年5月22日には海外の漫画家を対象とした「国際漫画賞」を創立することを発表。「漫画のノーベル賞のようなものを作りたい」と述べている。同年5月30日からウィーンで開催された核拡散防止条約 (NPT) 運用検討会議の第1回準備委員会では、日本政府代表団が広島の被爆体験を描いた漫画『はだしのゲン』の英訳版を加盟国に配布することになったが、これは麻生の肝入りで実現したものである。外務省が英語版30冊を出版社から譲り受け、今後も「漫画外交」を活発に展開させることを予定している[56]。
羽田空港で『ローゼンメイデン』を読んでいたところを見たという2ちゃんねるの書き込みがインターネット上で話題となり、一部のおたく層から『ローゼン麻生』『ローゼン閣下』と呼ばれるようになった。2006年5月に行われたサブカルチャー雑誌『メカビ』Vol.1のインタビューにおいて『ローゼンメイデン』について、「少女コミックの割には、話が重厚にできている」と感心したことを述べているが、「羽田空港で読んでいたかどうかは覚えていない」としている[57]。だが、2008年2月18日のSMAP×SMAPにゲスト出演した際に質問され「空港で噂のローゼンメイデンが置いてあったので読んだ」と語り、さらに『英語でしゃべらナイト』では、「ああ、これが最近噂の…」と思ってパラパラとめくっていたところを週刊誌に激写されたと語った。なお、2008年度版の『現代用語の基礎知識』には「ローゼン麻生」という項目が収録されている。こうしたことから、漫画好きの人々からの支持は高いと言われている。
ただし全ての漫画に理解があるというわけではなく、1989年 - 1991年に掛けての「有害コミック」騒動では、1991年「子供向けポルノコミック等対策議員懇話会」を結成し、会長となった。この会では、業界関係者を招致し、自主規制の現状について説明させた。
一方、『名探偵コナン』を使った外務省のPR冊子作成発表時に、『名探偵コネェン』と読み間違えたり、その作者青山剛昌の名前を読めなかった。また、外相時にメキシコの日墨学院を訪問した際、在校生からメキシコで人気が高い漫画「るろうに剣心」について質問され、答えられない場面もあった。
2008年8月2日に死去した漫画家の赤塚不二夫について、「あの種のギャグ漫画の草分け的存在で『シェー』をはじめ、よく笑った」とコメントした[58]。
2008年9月25日の英有力紙フィナンシャル・タイムズでは「貴族的家柄で失言と偏愛的な青年向け漫画愛好家である麻生太郎」と表され、国外でも漫画好きの政治家と認知されている[59]。
2008年9月26日東京・秋葉原で遊説を行い、さらに同所で開かれた「秋葉原エンタまつり08」の特別ステージにゲスト出演。『ジャパニメーションは、21世紀日本の資源。正しく国益。』という持論に基づき、漫画家・アニメーターの待遇向上による作品の品質向上、多国間における著作権保護の促進による国際競争力強化、ネット時代の柔軟なコンテンツ流通のあり方等について政策として強力に取り組むと共に、平和日本の文化として世界へのアピールを宣言。多くの聴衆からの熱狂的支持を受けた[60]。
その1ヵ月後の10月26日には再び秋葉原で街頭演説を行った。その際2008年6月8日に起こった秋葉原通り魔事件を取り上げ、「世の中が暗くなっている」と話し、「明るい世の中にしよう」と呼びかけた。また、麻生は中小企業、零細企業、地方銀行について触れ、従業員の最低賃金を上げることや、非正規雇用を正規雇用にし、その際の負担は政府が賄うということを話し、就任当時から語っている景気対策の必要性を訴えた。また、総理大臣になってからの多忙さで、漫画があまり読めなくなったことも話した。
しかしながら総裁選時の街頭演説とは異なり「アキバはいつまでもてめーの味方ぢ(じ)ゃねーぞ」と書かれた紙を掲げる者や「アキバを利用している」等と批判的な見解を示す者(これについては「2ちゃんねらーを装った市民団体の仕業」との指摘が出ている)がおり、「秋葉原ですら麻生離れがすすんでいる」という報道がなされた[61]。
週刊少年ジャンプで人気を博しており、麻生も好きだと公言している漫画、「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の両津勘吉の銅像が東京・亀有に2008年11月に設立され、アニメで両津の声を務めたラサール石井と原作者や麻生も参加し除幕式が行われたが、その際に麻生は原作者の秋本治には挨拶したにも関わらずラサール石井に対しては知らなかったためか完全に無視し、そのことに憤慨したラサール石井がblogで「握手どころか、1回も目を合わすこともない。漫画好きなんじゃないの?庶民派アピールなんじゃないの?俺、両さんの声やってるんすけど。ははあ。この人、俺のこと知らないな。漫画好きでもアニメはみてないのね。なんで俺をシカト?いやあ、なんかヘンだよこの人。ていうか、馬鹿だなあ」などと麻生批判を展開したことが話題になった。このblogはラサールに対する批判で炎上し、該当記事はその後削除された[62]。
2008年11月20日、アニメ映画監督として知られる宮崎駿(学習院大学では麻生と同期)が、都内の日本外国特派員協会で行われた記者会見の中で、機会のあるごとに麻生が「オタク」文化を理解する人物として自分を積極的に打ち出していることについて、記者が宮崎にどう考えるかと質問したところ、「恥ずかしいと思う。それはこっそりやればいいことです」と述べ、熱心に漫画を読んでいることをわざわざ首相が宣伝する必要はないという考えを示した[63]。これに対して、ネット上の一部で「オタク批判だ!」という宮崎への批判も出たが、スタジオジブリ関係者は、「ネットで言われているような『漫画を読むのは恥ずかしい』などと宮崎監督は言っているわけではない」「麻生首相はマンガ好きであることを、若者に対する自らの政治アピール(政治利用)として使っている。アキバに行って『オタクのみなさん』などと演説したりなど、見るからに、マンガを強引で露骨に全面に出しているのは、行き過ぎではないか、と批判しているのだと思います」との見解を示している[64]。
『後継者の品格—現代に見る帝王学』の著者の新井洋は「麻生さんは、育ちが悪いと自分を卑下することで、逆に家柄の良さをひけらかしています。マンガオタクも秋葉原好きも、自分が庶民的であることのアピールですが、真の帝王学を学ばれた方はそういうひけらかしはしません」と述べている[65]。
衆議院議員の平沼赳夫は、読売新聞の連載記事でのインタビューにて「総理が秋葉原で漫画の話をしてはいけない。総理は歴史、政治、道徳、宗教学などの本を読まなければいけない」と苦言を呈している。中曽根康弘は、麻生が「勉強になる」と公言する漫画『ゴルゴ13』を読み、「バカだね」と発言した[66]。
大学時代からクレー射撃を始め、22歳の時全日本選手権を当時の日本新記録で優勝。1974年に行われた第2回メキシコ国際射撃大会に優勝。1976年のモントリオールオリンピック代表に選出される。
公明党と太いパイプを持つ蜜月関係で知られる[67]。麻生の2008年総裁選出馬表明直後には、公明党支持母体の創価学会婦人部・公明代表代行の浜四津敏子が異例のスピードで支持表明をし、麻生が総裁選で優位となる流れを作り話題となった[68]。その後、2008年8月11日にまだ自民党総裁が決まってない段階で、公明党幹事長の北側一雄も「日本の未来を考えたときにリーダーは明るさが必要だ」として明確な支持を表明している[69]。連立与党のパートナーとはいえ、党幹部が他党の党首選について特定候補の支持を明言するのは極めて異例なことである。
週刊文春は、組閣にあたり漆間巌の起用を真っ先に決めたのは、警察OBであることから、現役警官からの情報が得られることが理由であり、小沢一郎の持病である狭心症の状態や、民主党の議員のマルチ商法スキャンダルを調査させるという目的であると報じた[70]。
勝共推進議員の1人であり、国際勝共連合から送り込まれた1人の統一教会(世界基督教統一神霊協会)信者を秘書として受け入れ、1988年の勝共推進議員教育報告書や1988年の統一教会総支部活動報告書にも名前を連ね、統一教会支部結成貢献ランクは「B」と評価されていた、などと一部メディアにおいて報道された[71]。麻生は週刊誌の取材に対して、統一教会との関係を全面否定している。また、麻生家はカトリックであるが、統一教会はカトリックでは異端として扱われているのも事実である。
麻生グループ関連会社「麻生」(福岡県飯塚市)から、2002年4月30日付で麻生が支部長を務める自民党支部が総額650万円の政治献金を受けていた。前年度中に「麻生」は国から補助金1458万円を交付されており政治資金規正法違反の疑いを指摘された。同社は県から間接的に受給していたので問題ないとの認識であった。報道後に同社は返金を求めることを表明した[72][73]。
道路特定財源を資金源とする道路運送経営研究会(道路特定財源の一般財源化に反対している)から献金を受けていた。
山田洋行から献金を受けていた政治家の実名リストに名前が載っていたと報道されている。これに対して麻生の事務所側は「現在、調査中」とコメントしている[74]。
「野中広務#麻生太郎への批判」を参照
国会答弁の中などで、漢字の読みを何度も間違えていることが指摘されている[133]。
主なものとしては
| 踏襲 | 「ふしゅう」youtube動画 youtube動画 |
| 詰めて | 「つめめて」youtube動画 |
| 怪我 | 「かいが」youtube動画 |
| 参画 | 「さんか」[134] |
などがある。
</ref>。
| この項目は過剰な加筆が行なわれ、読みにくくなっています。 あまり重要ではない事項を細かく解説することは、むしろ閲覧者の理解を妨げ関心を損ないます。これ以上の内容の増大は歓迎されません。内容の削減をノートで検討しています。 |
麻生家は、宇都宮氏の流れを汲む麻生氏の一族とされている。麻生家の名前の由来をたどると、先祖が遠賀郡麻生郷に花の屋敷を築いた縁からその地名をとり麻生姓を名乗ったという[143]。江戸時代には村の庄屋を務め、1868年大庄屋となった。明治の始め曾祖父・麻生太吉が目尾御用炭山を採掘し石炭産業に着手、九州三大石炭財閥の一つに伸し上がり鉄道、電力、金融等幅広く事業を展開して大富豪となった。戦後麻生炭鉱は、吉田茂の資金源となった。
吉田茂は祖父、加納久朗子爵は祖母・夏子の兄で立花宗茂の弟・立花直次の子孫に当たる。牧野伸顕伯爵、自由民権運動の闘士竹内綱は曽祖父、明治の元勲大久保利通、自由民権運動の弾圧で知られる三島通庸子爵は高祖父にあたる。妻は元首相の鈴木善幸の三女。妻との間に1男1女あり、いずれも2007年3月の時点で大学生。麻生の弟・泰の妻は、日本医師会の元会長である武見太郎の娘。妹・信子は寬仁親王妃。従兄弟にキャプテン・フューチャーの翻訳者として知られるSF作家の野田昌宏がいる。
文芸・野球評論家の大井廣介は本名を麻生賀一郎といい、麻生太賀吉に対しては従兄弟にあたる。また明治天皇の落胤を名乗った日本画家橘天敬は太賀吉のいとこの夫である。
橋本龍太郎は遠縁の親戚(麻生の祖母夏子の兄加納久朗の孫久美子が龍太郎の妻)。安倍晋三は遠縁の親戚(麻生の祖父吉田茂の長女桜子の夫・吉田寛が岸信介元首相のいとことなるため)。宮澤喜一は遠縁の親戚(妻の兄弟の鈴木俊一の妻が宮澤喜一のいとことなるため)。宮澤家はブリヂストンの石橋家と親戚であり、この石橋家を通して鳩山家ともつながる。
なお、外務大臣に関して述べるならば、牧野・吉田はいずれも外務大臣経験者であり、世襲政治家が多い日本の政界でも極めてまれなケースである。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
野田勢三郎 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
野田健三郎 |
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
野田宏一郎 (野田昌宏)ひらけ!ポンキッキの生みの親 |
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
ツヤ子 |
|
|
鈴木俊一 |
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
鈴木善幸 (首相) |
|
|
千賀子 |
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
加納久宜 |
|
加納久朗 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
八重子 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
夏子 |
|
|
|
|
|
|
|
麻生太郎 |
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
麻生太賀吉 |
|
|
麻生次郎 |
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 麻生賀郎 |
|
麻生太吉 |
|
麻生太郎 |
|
|
|
|
|
|
|
雪子 |
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
和子 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
竹内綱 |
|
吉田茂 (首相) |
|
|
吉田健一 |
|
|
相馬和胤 | (相馬家第33代当主 ミングオブジャパン社長) |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
吉田正男 |
|
|
旦子 |
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
雪子 |
|
|
江子 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 大久保利通 |
|
牧野伸顕 |
|
|
|
|
|
|
|
桜子 |
|
|
荒船清彦 | (駐スペイン大使) |
|
||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
信子 |
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 三島通庸 |
|
峰子 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
彬子女王 | ||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
利武子 |
|
|
|
|
|
|
寬仁親王 |
|
|
瑶子女王 | ||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
麻生泰 (麻生社長) |
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
英子 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
和子 |
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
秋月種英 |
|
武見太郎 (日医会長) |
|
|
武見敬三 |
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
共著
| [ヘルプ] |
また、麻生太郎の従兄弟に当る人物がブラジルに移民していたことも近年になって判明した。
麻生総理の従兄弟とついに接触! 学移連出身だった忠氏 「人生一度だけ!」と熱弁 ニッケイ新聞より 2008年12月31日
『No.34 ブラッド・ダイヤモンド』 最首公司のホームページ および
ダイヤモンド・ロードを行く 最首公司著 講談社(1970)より
養老は読字障害は病気ではないとしたうえで、読字障害のプラスの側面に目を向け「官僚と戦うためには別の能力を持つ人が必要だ」とエールを送った。
| 官職 | ||
|---|---|---|
| 先代: 福田康夫 |
第92代:2008年 - |
次代: 現職 |
| 先代: 町村信孝 |
第137・138代:2005年 - 2007年 |
次代: 町村信孝 |
| 先代: 片山虎之助 |
第3・4・5代:2003年 - 2005年 |
次代: 竹中平蔵 |
| 先代: 額賀福志郎 |
第2代 : 2001年 |
次代: 竹中平蔵 |
| 先代: 田中秀征 |
第53代:1996年 - 1997年 |
次代: 尾身幸次 |
| 党職 | ||
| 先代: 福田康夫 |
自由民主党総裁 第23代 : 2008年 - |
次代: 現職 |
| 先代: 中川秀直 伊吹文明 |
自由民主党幹事長 第40代: 2007年 第42代: 2008年 |
次代: 伊吹文明 細田博之 |
| 先代: 亀井静香 |
自由民主党政務調査会長 第44代:2001年 - 2003年 |
次代: 額賀福志郎 |
| 議会 | ||
| 先代: 創設 |
福岡県第8区選出 1996年 - |
次代: 現職 |
| 先代: 島村宜伸 |
日本会議国会議員懇談会会長 第2代:1997年9月 - 2003年 |
次代: 平沼赳夫 |
| 歴代内閣総理大臣 | ||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 第91代 福田康夫 |
第92代 2008年 - |
- - |
||||||
|
|||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||
|
|||||
|
|||||
stock | retire | vm
Why are we here?
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License
This page is cache of Wikipedia. History