赤坂(あかさか)は、東京都港区の地名・地区名。旧赤坂区の地域にある。
郵便番号 107-0052
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赤坂駅前には、TBSの本社があり全国的に知名度も高い。赤坂見附駅周辺は骨董品店やホテルなどが多い。
地名の由来は紀伊国坂。
赤坂地区の東端に位置し、千代田区(霞が関・永田町)との区境にあたる。
1567年に人継村(ひとつぎむら)が開拓される。
江戸時代に現在の元赤坂付近に町屋、武家屋敷が造られ次第に市街化する。
明治時代に入り、1878年の郡区町村編制法により、この地区は東京15区のひとつ、赤坂区の一部となる(この赤坂区は港区の前身。その範囲はおおむね港区の北-西部。今日「赤坂」あるいは「青山」を町名に含む地区)。
1967年には住居表示が実施され、赤坂一丁目から赤坂九丁目、元赤坂一丁目・元赤坂二丁目が誕生。 昭和30年代から昭和60年代まではキャバレー、ナイトクラブなどが集まり、コパカバーナ、ミカド、ニューラテンクォーターなどは昭和の歴史に名を残した代表的な店である。
今日、住所上「赤坂」とつく町名である元赤坂一丁目・元赤坂二丁目と赤坂一丁目から赤坂九丁目は、1967年の住居表示実施により誕生した。これにより、この地に古くから続いていた町名が失われることになった。現在「赤坂」とつく町域を構成していた旧町名(港区発足直前の町名)を以下にすべて挙げる。
なお、港区が誕生した1947年、旧赤坂区の町名にはすべて「赤坂」を冠する町名変更が行われた(例: 一ツ木町→赤坂一ツ木町、青山権田原町→赤坂青山権田原町、など。元赤坂町など一部例外あり)。この「赤坂」を冠する町名(以下のカッコ内の町名)は、住居表示実施まで続いた。
溜池は江戸城外濠の一部を構成していた。元々水の湧く所であり堤を作り水を溜めるようにしたためこの名がある。その形から別名ひょうたん池とも。神田上水、玉川上水が整備されるまではこの溜池の水を上水として利用していた。堤に印の榎を植えたため現在赤坂ツインタワーから駐日アメリカ合衆国大使館に上る坂道は榎坂とよばれる。
宝永年間より断続的に埋め立てられ明治時代には住宅街となり溜池町となった。
昭和初期から40年代にかけてはこの周辺に輸入外車の販売店が集積するようになり、自動車街と呼ばれるようになった。溜池交差点から山王下までだけでも日本自動車(フィアット・アウディ・アメリカン・モーターズ)・三和自動車(パッカード・ポルシェ)、東邦モータース(オペル・オールズモビル)、日英自動車(MGやポンティアック)、安全自動車(ダッジ)、国際自動車商事(ランチア)、八洲自動車(クライスラー)などが軒を連ねていた。輸入車は当時の平均的日本人の生活水準からは極めて高価な存在で、購入するなど思いもつかなかった当時のカーマニアたちはカメラ片手に散策を楽しんだ。しかし、昭和50年代以降はオフィスビル化が進み、今は当時の面影をほとんど残していない。
1967年の住居表示実施に伴う町名変更により赤坂一丁目と赤坂二丁目が誕生し、溜池町は消滅。今日、溜池交差点や東京地下鉄溜池山王駅、都営バス(都01)溜池停留所などに名を残している。
江戸時代には町奉行を務めた大岡越前守の屋敷があった。大岡邸内にあった豊川稲荷は現在も残り、盗難よけの御利益があるとされ信仰を集めている。戦前には近衛歩兵第二旅団司令部、同歩兵第三連隊があり軍隊の街であった。1955年にラジオ東京(現・東京放送ホールディングス)が一ツ木町に局舎を建設した(当初はテレビ部門のみ。1962年、有楽町にあったラジオ部門も赤坂に移転してきた)。歴史の項にもあるように江戸時代以前からの地名(人継→一ツ木)であったが、1967年の住居表示実施に伴う町名変更により赤坂四丁目と赤坂五丁目が誕生し、一ツ木町は消滅した。TBSの「オールスター感謝祭」のミニマラソン、ミニ駅伝のコースとして知られる一ツ木通りに名を残す。
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