西暦(せいれき、ラテン語:Anno Domini、略称:AD又はA.D.)とは、キリスト教のイエス・キリストの生年とされる年を紀元(西暦紀元)とした紀年法である。
Anno が年、Domini が“主の…”の意味である。現在は2009年 (UTC) である。キリスト紀元とも呼ばれる。正確には西暦自体は太陽暦の暦法であるユリウス暦やグレゴリオ暦のことであるが、一般にはそれらを総称した西暦紀元の略称として用いられている紀元をいう。西洋紀元、西紀とも記される。今日、世界で最も広く使われている。
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西暦紀元は6世紀のローマの神学者ディオニュシウス・エクシグウスによって算出された。525年、ディオニュシウスはキリスト教の移動祝日である復活祭の暦表(復活祭暦表)を改訂する際に、当時ローマで用いられていたディオクレティアヌス紀元(皇帝ディオクレティアヌスの即位を紀元とする)に替えて、イエス・キリストの生誕年を元年とする新たな紀元を提案した。これはディオクレティアヌスがキリスト教の迫害者であり、その名を残す事を嫌ったからである。
聖書の記述によると、イエスが復活した日はユダヤ教の過越の祭り(春分の頃の最初の満月の日)の前日から三日目の日曜日(主日)であり、伝承では「ユダヤ暦でニサンの月の14日」(ユリウス暦の3月25日)とされていた。ディオニュシウスはイエスの生誕年を求めるにあたり、ディオクレティアヌス紀元279年が、伝えられるイエスの復活した日の状況と合致することを発見した。そこで、ここから復活祭(過越の祭りと同日)の日付が532年で一巡するという当時の知識に基づき、イエスの復活した年を求め、その時のイエスの年齢が「満30歳であった」とする当時の聖書研究者の見解を根拠として、更に31年遡った年がイエスの生誕年に当たるとした。これにより「ディオクレティアヌス紀元248年=キリスト紀元532年」として復活祭暦表に記載した。532年から記載されたのは、改定前の復活祭暦表にはディオクレティアヌス紀元247年までの復活祭が記載されていた為である。
西暦1年から531年までは概念上の存在であり、実際の紀年法として使用されていた訳ではない。その後も長らくこの紀年法は受け入れられず、10世紀頃にようやく一部の国で使われ始め、西欧で一般化したのは15世紀以降のことであるという。
なお、東ローマ帝国などの正教会諸国では10世紀以降、世界創造紀元(天地創造が基準。西暦紀元前5508年を元年とする)が使用されている。西暦がキリスト教圏すべてで用いられた訳ではないので、注意が必要である。
また西暦が国際社会でもっとも用いられる年号となったのは、キリスト教圏であるヨーロッパ各国の世界進出や植民地拡大により非キリスト教国でも西暦が普及したからである。
日本では明治以降に使われ始め、現代では元号とともに一般化されているが、元号法制定時の政府見解[1]にも関わらず、公の機関が作成する公文書や許認可の証明書(発行日、有効期限など)、法令、判例においては全て元号年のみに統一されており、事実上西暦年による記載をしないという慣習がある。ただし、気象測器検定規則(平成14年3月26日国土交通省令第25号)に定められた気象機器の検定証印の年表示や、乳及び乳製品の成分規格等に関する省令(昭和26年12月27日厚生省令第52号)に定められた食品の賞味期限表示の一部のように、西暦年を使用する法令も存在する。
西暦に対応して元号のことを邦暦と呼ぶこともあるが、あまり知られていない[2]。
ディオニュシウスの求めた紀元は、今日推定されるイエスの生年から数年ほどずれている。現在では、イエスはヘロデ大王の治世の末期、紀元前7 - 4年頃に生まれたと考えられている。これは、新約聖書によるいくつかの記述が根拠となっている。
一つ目は「大規模な人口調査が行われた年にイエスがベツレヘムで誕生した」という記述がルカ福音書2章にあり、人口調査は紀元前7年と紀元前6年に行われたとされていること。二つ目は、「救世主イエス誕生の話を耳にしたヘロデ大王が、新たな王の存在を恐れ二歳以下の幼児を虐殺させたためにイエスと両親がエジプトに避難した」という記述がマタイ福音書2章にあるためである。
これらの記述に歴史的な裏づけはないが、ヘロデ大王在位中にイエスが誕生したことは明らかであり、ヘロデ大王の死は当時の文書などにより紀元前4年と確定しているので、イエスは少なくとも紀元前4年以前に誕生したと考えられている(史的イエス#十字架での生年と没年も参照)。
上記により、実際のイエスの生誕年と西暦の紀元とは4年から7年のずれがある。
年数を表す際、日本語では、「西暦○○年」「紀元○○年」と言う。ラテン語では、イエス・キリストの誕生年と考えられていた年をAnno Domini(「主の年に」の意)と書き、これに具体的な年を続ける。しばしば A.D. と略され、これは現代の英語でも用いられている。しかしこの表記は万国共通のものではなく、例えばフランス語ではキリスト紀元を Après Jésus-Christ(ap.J-C と略記)、スペイン語では Despues de Cristo(d.C. 又は D.C. と略記)、ドイツ語では nach Christus(n. Chr. と略記)と表記する。
一方、西暦以前の年代には、西暦元年の前の年を、0年ではなく「紀元前1年」とし、年数を逆行させる。これは17世紀フランスの神学者ドニ・プト(Denis Petau)による案で、18世紀末になってようやく一般化した。ラテン語では、Ante Christum といい、稀に A.C. と略される。英語では、Before Christ といい、これを B.C. と略す。これはあくまで英語圏でのみ通用する表記で、例えばフランス語では Avant Jésus-Christ(av.J-C と略記)、スペイン語では Antes de Cristo(a.C. 又は A.C. と略記)、ドイツ語では vor Christus(v. Chr.と略記)と表記する。
西洋のシステムが国際基準になってゆく中で、非キリスト教圏にも西暦が浸透していった。これについて、特に欧米の非キリスト教徒には強い抵抗感があったといい、そのため、例えば英語圏では Anno Domini を Common Era(共通紀元、C.E. と略す)、Before Christ を Before Common Era(B.C.E.)と言い換える動きも見られる。たとえば、Unicode Standardでは一貫してCEとBCE(スモールキャピタル)を使っている。
一方で、キリスト紀元であることには変わりがないのだから言い換えたところで同じである、キリスト紀元をcommonと言い切ることは傲慢である、キリスト教の産物を無自覚のうちに使わされてしまう、などの反論もある。これらの立場の者の中には、西暦をChristian Era(略号は同じC.E.)と呼ぶ者もいる。とはいえ、キリスト教暦は宗派によって異なるので必ずしも適切であるとは言えない。
中華人民共和国では「公元」と訳されている。また、イスラーム暦なども日本から見れば西方諸国の暦法なので、キリスト紀元だけを「西暦」と称するのには多少の違和感があることであろう。
日本において公文書に用いる年号は基本的に元号のみでしか表記しないことが多く、西暦の使用はほぼ排斥されているが、近年、日常生活では元号より西暦を使うか、または「1890年(明治23年)」「1920年(大正9年)」「1970年(昭和45年)」「2000年(平成12年)」のように西暦と元号を併記して表記することが格段に増えている。例えば、主要なメディア(新聞・テレビ等)の多くが主に西暦を使用している。ただし法令番号や判例などを示す場合には、元号と共に用いられている。
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