| ノート:宏池会に、このページに関する提案があります。 提案の要約:宏池会と宏池会 (古賀派)と宏池会 (谷垣派)と中宏池会構想の統合提案 |
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自由民主党
Liberal Democratic Party (LDP)自由民主党本部 |
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|---|---|
| 総裁 | 麻生太郎 |
| 幹事長 | 細田博之 |
| 参議院議員総会長 | 尾辻秀久 |
| 成立年月日 | 1955年11月15日 |
| 本部所在地 |
〒100-0014
東京都千代田区永田町一丁目11番23号 |
| 衆議院(下院) |
304 / 480 (63%)
(2009年6月) |
| 参議院(上院) |
82 / 242 (34%)
(2009年6月) |
| 党員・党友数 |
1,210,323(党員のみ、党友は含まない)
(2006年政治資金収支報告書) |
| 政治的思想・立場 | 保守 中道右派 自由主義 |
| 機関紙 | 自由民主 |
| 政党交付金 |
約157億3,300万 円
(2009年度予算) |
| 公式サイト | 自由民主党 |
| シンボル | 太陽を仰ぐ二人の子ども ロゴマーク |
| 国際組織 | 未加盟 (かつては国際民主同盟に所属) |
| 党を後援する私企業や団体の集団入党も多い。 | |
| 表・話・編・歴 | |
自由民主党(じゆうみんしゅとう、略称:自民党、自民、Liberal Democratic Party、LDP)は、日本の政党。
2009年4月1日現在、麻生太郎内閣の与党であり、衆議院では第1会派、参議院では民主党に次ぐ第2会派を形成している。
鳩山由紀夫らによる民主党や小沢一郎による自由党の登場後は、「自由民主党」の正式名を使うと混同される恐れがあるため、「自民党」または「自民」の略称を使う頻度が増えている。機関紙も、それまでの『自由新報』から『自由民主』に改題した。
「太陽を仰ぐ二人の子ども」を広報宣伝用のシンボルマークに用いているが、正式な党章は紫地に白線で「14枚花弁菊紋の中央に「自民」のモノグラム」が入るものである。
目次 |
1955年、自由党と民主党が合併して成立。戦前の二大政党の一つである立憲政友会の流れを汲み、戦後の一時期を除いて結党以来ほぼ一貫して議会で多数を占め、与党の立場にある。日本国憲法の(復古的)改正を目指す政党として結成した。
結成直前の1954年から1964年まで、アメリカ合衆国(米国)政府の反共政策に基づいてアメリカ中央情報局 (CIA) の支援を受けていた[1][2]。また、政治評論家の森田実によると、現在においてもCIAの影響下にあると指摘されている[3]。
政治学者の北岡伸一の著書『自民党 政権党の38年』(読売新聞社、1995年11月)によると、政党発足当初は吉田派・反吉田派、党人派・官僚派、戦前派・戦後派など複雑な対立要素が絡んでいたため、“保守合同”の立役者となった三木武吉は「10年も一党体制を維持できればマシな方だろう」という程度の認識だったという。
かつては、地方の建設業界に対して一定の公共事業を発注するなど特定利権は生じるものの、「富の再分配政策」を行って地方の経済を回していくことを重視し、「一億総中流」を唱えるなど平等を重視する保守本流派が主流であり、農山漁村や地方小都市など地方を支持基盤としてきた。一方、新住民層が多い大都市やそのベッドタウンでは日本社会党(社会党。党名は当時)や日本共産党(共産党)と票の奪い合いが続いていた。
しかし、1988年のリクルート事件や1992年の東京佐川急便事件により国民の政治不信が頂点に達し、自民党の長期政権による金権体質が度々指摘されるようになった。この流れを受けて、宮沢内閣の政治改革関連法案に反対した自由民主党議員が大量に離党、結果として1955年(昭和30年)の保守合同以来の自民党単独の長期連続政権(55年体制)に終止符が打たれた。
また、1990年代に入るとバブル経済が崩壊する。冷戦が終結しグローバル化が急速に進展したことにより、従来型の官僚主導による利益分配的な政治手法が機能しなくなり、主要銀行も巨額の不良債権を抱えるようになった。これにより銀行による貸し渋りや貸しはがしもおこり、企業倒産が相次ぐ。しかしながら経済政策を劇的に転換することことができず、経済成長効果のあまりなかったとされる公共事業を軸とした膨大な財政出動により国と地方も莫大な財政赤字を抱えるようになり、経済政策の転換を迫られることになった。
そうした時代的要請から2001年自民党の従来の政治手法を転換し、公共事業の削減などにより政府の財政出動を抑制し、中央政府の権限を民間企業や地方自治体に委譲すべきであると唱えた小泉純一郎が総裁として選出される。
小泉内閣は聖域なき構造改革を主張し旧来の地方への利益分配により党の支持基盤を磐石なものとしてきた政策を転換した。またバブル崩壊後の金融業の最大の問題となっていた不良債権問題を解決するため、竹中平蔵を金融担当大臣に任命し銀行にたいして不良債権の厳しい査定を課し、金融危機収束の道筋をつけた。小さな政府路線を主張した小泉は、自身の最重要公約に、郵政事業の民営化を掲げた。2005年8月の通常国会で、郵政民営化法案が参議院で否決されると、衆議院を直ちに解散し、郵政民営化の是非を問う総選挙が行われる。この選挙に圧勝し歴史的圧勝をおさめた(郵政選挙)、郵政民営化法案は可決され、郵政事業は民営化された。
2005年の郵政選挙で保守派の議員が郵政民営化法案に反対票を投じたため党を除名されたり、落選したことで、党内保守派および保守系の議員連盟が大きな打撃を受けた結果、「自民党が保守政党でなくなっていく」可能性も指摘されている[4]。
小泉政権以降の政権は、小さな政府路線を目指す構造改革の負の部分に苦しむことになる。2007年、後任の安倍晋三は、公共事業によって成り立ってきた地方の反発を招き、本来地盤であった地方の自民党離れが進んだ。加えて、5000万件にもなる年金記録問題や閣僚のスキャンダルも続き、参議院選挙では民主党に惨敗し、結党以来初めて参議院で第1党から転落した。これにより、衆議院と参議院の多数派が異なる政党となり、与野党の対立が激化し、政策を決定し、実行するスピードが遅くなる。これにより首相の指導力も著しく低下し、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎と総理総裁が毎年のように変わるようになる。
2008年9月に誕生した麻生内閣も経済危機下の経済政策の迷走や閣僚である中川昭一の国際舞台での酩酊疑惑、自身の失言、日本郵政社長の再任容認(鳩山邦夫総務相の更迭)、総選挙の先延ばし[5]などにより2割程度の支持率となっている。様々な世論調査(各社により数字には大きな隔たりはあるが)によると与党自民党と民主党の支持率の逆転が多く見受けられる。
更に、公明党とその支持母体である宗教法人創価学会の選挙協力による組織的動員(F取り)なしには選挙戦を戦えない不安定な状態になっていると指摘されている。実際、自民党幹部が2008年8月に行った調査によると、創価学会と公明党の支援無しで自民党が総選挙に臨んだ場合、100未満の議席しか獲得できないという[6]。
2009年6月には、元たけし軍団の東国原英夫(旧そのまんま東)・宮崎県知事に次期衆院選への立候補を依頼するも、知事側から「東国原を次の総裁候補として衆院選を戦うこと」と「全国知事会の要請を党のマニフェストに全て盛り込むこと」の二つを、立候補の条件として逆に示された[7]。
入党には党員の紹介が必要である。2007年末における党員数は1,102,460人。ピーク時の1991年には547万人いた。党費は年に4,000円。党員になれば、総裁選挙で投票することができる。一般党員と家族党員と特別党員という3種類の党員制度となっている。
国会議事堂の北西すぐに党本部がある。財団法人自由民主会館が所有する9階建てのビルで、「自由民主会館」という。その土地は国有地を借りたものである。延べ床面積は約1万5600平方メートルで大規模な本部ビル[21]ではあるが、約1万6000平方メートルある日本共産党本部の方が大きく、日本最大ではない[22]。
自民党は選挙区あるいは市区町村ごとに支部を擁しており、都道府県ごとに支部の連合会を設置している。この連合会のことを県連(けんれん)と略しており、正式には「自由民主党○○県支部連合会」という。東京都、大阪府、京都府、北海道においてはそれぞれ都連(とれん)、府連(ふれん)、道連(どうれん)になる。
麻生内閣:2008年(平成20年)9月24日発足後、2009年(平成21年)2月12日時点
詳しくは自由民主党 役員表や、幹事長、政策部会、自由民主党総務会、国会対策委員会を参照すること。 総裁12
幹事長12
総務会長12
政務調査会長12
選挙対策委員長12
国会対策委員長
衆議院議員総会長
参議院議員総会長1
幹事長1
政策審議会長
国会対策委員長
「自由民主党執行部」を参照
「自由民主党国会議員一覧」を参照
参議院自由民主党は各種業界・団体代表者の割合が高い。1989年の第15回参議院議員通常選挙で大敗、過半数割れした結果、歴代の自民党政権・執行部は参院対策に重点を置いてきた。参院自民党の執行部人事は総裁の専権事項ではなく、また閣僚人事も派閥領袖より参院議員会長・参院幹事長の意向が優先される参議院枠が存在する、派閥に対する帰属が衆院に比べて弱い。
詳細は「自由民主党の派閥」を参照
以下は現状の派閥構成人数。
| 町村派 | 津島派 | 古賀派 | 山崎派 | 伊吹派 | 高村派 | 二階派 | 麻生派 | 無派閥 | 計 | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 衆議院 | 62 | 45 | 51 | 38 | 20 | 14 | 14 | 17 | 43 | 304 |
| 参議院 | 27 | 23 | 9 | 3 | 6 | 2 | 2 | 4※ | 6 | 82 |
| 計 | 89 | 68 | 60 | 41 | 26 | 16 | 16 | 21 | 49 | 386 |
「自由民主党の友好団体」を参照
| カテゴリー | 団体 |
|---|---|
| 財界団体 | ・日本経済団体連合会(日本経団連)・日本商工会議所(日商)・経済同友会 有力企業・経営者は基本的に自民党支援であり、「民主主義維持のためのコスト」として国民政治協会への政治献金も強く求められている。「経済同友会」と、日本経団連の前身の一つである「日本経営者団体連盟」(日経連)は、かつて保守合同を強力に促したことでも知られる。ただし、1993年の非自民による細川政権成立後は、「日本経団連」は公式には必ずしも自民支持ではなかった。しかし、2005年の第44回衆議院議員総選挙では、奥田碩会長は自民党単独支持を表明した(より正確には、奥田個人の発言という形を取り経団連としての支持表明ではなかったが、事実上そのように報道された。実際に、奥田会長のトヨタ自動車を始めとして、経団連の主要な企業の多くが自民党を支援した)。 近年は、郵政民営化や日本道路公団民営化、労働者派遣法の規制緩和、官民競争入札制度の導入、ホワイトカラーエグゼンプションなど経団連が支持する新自由主義経済政策が積極的に導入・議論されるなど、自民党と経団連の協力関係は一層に強化されており、高齢化等が進んで組織力を低下させている支持団体は自民党によって切り捨てられているとされる。 |
| 業界団体 |
・大樹全国会議 |
| 宗教団体 | ・創価学会(連立相手の公明党の支持母体) 1999年以降公明党が連立政権に参画し、公明党の支持母体である創価学会と衆院小選挙区・参院比例区を中心に選挙協力が進められている。 |
| 政治思想系 | ・日本会議 結成当時より党是は改憲であり、「GHQによる押しつけ憲法の廃止 - 自主憲法の制定」を唱え、また党綱領にもその旨定めている(→押し付け憲法論)。 |
前述されたように自民党は財界や保守層からの支持が根強い。小泉純一郎政権時は、マスコミ報道を利用した「劇場型政治」や「ワンフレーズポリティクス」などと評され、従来の自民党支持層とは異なる都市部無党派層・政治に関心がない層からも幅広い支持を集めた。第44回衆議院議員総選挙からは党広報担当の世耕弘成が民間企業の広告代理店と協力しながら、より戦略的なメディア対策がなされるようになった。このような政治手法に対しては、敵対勢力からはポピュリズム政治であるとの評価がしばしばなされる。
自民党は都市部と地方の経済的格差の是正を重視する政策を田中角栄内閣以来踏襲してきた。そのため農山漁村や地方小都市からの支持が根強かった。しかし近年のそうした政策が行き詰まり、より自由競争による経済効率を重視する政策へと転換を図ってきた。これにより公共事業の削減を進めてきたため、公共事業に大きく依存する経済構造であった農山漁村や地方小都市からの支持を失いつつある。したがって地方組織は弱体化しつつあり、党員数も減少傾向にある。また以前は都市部での支持が比較的高かった民主党が地方で議席を伸ばしたり健闘することが多くなってきている。 組織が崩壊傾向にあることもあって、近年は連立相手である公明党及びその支持母体創価学会への依存が高まりつつあるが、一方で従来自民党を支持していた宗教組織(立正佼成会等)の離反を招いているともされる。
党結成以来、日米同盟(日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約に基づく両国関係)を最重視している。
日韓議員連盟に237名の議員が参加し、森喜朗元首相が現在も会長を務めるなど関係を重視している。
日中友好議員連盟には多数の議員が所属し、高村正彦衆院議員が会長、町村信孝が副会長を務める。また、北京オリンピックを支援する議員の会の河野洋平会長など100人以上の議員が参加している。なお日中緑化推進議員連盟には二階俊博らが所属している。
2007年夏の参院選後に、森喜朗元首相、古賀誠元幹事長・二階俊博国対委員長らが新たな日中友好議員連盟の結成を予定していると報じられた。2007年7月4日には、中華人民共和国の王毅大使と中国大使公邸で懇談し、協力を求めた。日中国交正常化35周年に合わせて日本と中国が進める「2万人交流」プロジェクトが今秋にも達成されるのに合わせ、双方で記念式典を開催することで一致したとされる[24]。
北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟は自民党議員が中心となっている。
| 選挙 | 当選/候補者 | 定数 | 備考 |
|---|---|---|---|
| (結党時) | 299/- | 467 | 「自民党のあゆみ」によれば、298 |
| 第28回総選挙 | ○287/413 | 467 | 追加公認+11 |
| 第29回総選挙 | ○296/399 | 467 | 追加公認+4 |
| 第30回総選挙 | ○283/359 | 467 | 追加公認+11 |
| 第31回総選挙 | ○277/342 | 486 | 追加公認+3 |
| 第32回総選挙 | ○288/328 | 486 | 追加公認+12 |
| 第33回総選挙 | ●271/339 | 491 | 追加公認+13 |
| 第34回総選挙 | ●249/320 | 511 | 追加公認+12、死去-1 |
| 第35回総選挙 | ●248/322 | 511 | 追加公認+10 |
| 第36回総選挙 | ○284/310 | 511 | 追加公認+3 |
| 第37回総選挙 | ●250/339 | 511 | 追加公認+9 |
| 第38回総選挙 | ○300/322 | 512 | 追加公認+4、新自由クラブより合流+5 |
| 第39回総選挙 | ○275/338 | 512 | 追加公認+11 |
| 第40回総選挙 | ●223/285 | 511 | 追加公認+8、離党-3 |
| 第41回総選挙 | ○239/355 | 500 | |
| 第42回総選挙 | ●233/337 | 480 | |
| 第43回総選挙 | ○237/336 | 480 | 追加公認+4、保守新党より合流+4 |
| 第44回総選挙 | ○296/346 | 480 | 翌年の復党合流+11 |
| 選挙 | 当選/候補者 | 非改選 | 定数 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| (結党時) | 118/- | - | 250 | 「自民党のあゆみ」によれば、115 |
| 第4回通常選挙 | ○61/118 | 61 | 250 | 追加公認+2、死去-2、非改選入党+2 |
| 第5回通常選挙 | ○71/101 | 62 | 250 | 追加公認+2 |
| 第6回通常選挙 | ○69/100 | 73 | 250 | 追加公認+1 |
| 第7回通常選挙 | ○71/95 | 69 | 250 | |
| 第8回通常選挙 | ○69/93 | 68 | 250 | |
| 第9回通常選挙 | ●63/94 | 72 | 252 | 追加公認+1、繰り上げ当選+1 |
| 第10回通常選挙 | ●62/95 | 64 | 252 | 追加公認+1 |
| 第11回通常選挙 | ○63/77 | 61 | 252 | 追加公認+3、離党-2 |
| 第12回通常選挙 | ○69/77 | 66 | 252 | 追加公認+1、非改選入党+1 |
| 第13回通常選挙 | ○68/90 | 69 | 252 | |
| 第14回通常選挙 | ○72/83 | 71 | 252 | 追加公認+2 |
| 第15回通常選挙 | ●36/78 | 73 | 252 | 追加公認+2 |
| 第16回通常選挙 | ○69/82 | 39 | 252 | 追加公認+1 |
| 第17回通常選挙 | ●46/66 | 65 | 252 | |
| 第18回通常選挙 | ●44/87 | 59 | 252 | 追加公認+2 |
| 第19回通常選挙 | ○64/76 | 47 | 247 | (保守党5と統一会派) |
| 第20回通常選挙 | ●49/83 | 66 | 242 | |
| 第21回通常選挙 | ●37/84 | 46 | 242 |
(参考文献:石川真澄(一部山口二郎による加筆)『戦後政治史』2004年8月、岩波書店・岩波新書、ISBN 4-00-430904-2)
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