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国務大臣(こくむだいじん)とは、日本国の内閣を構成する大臣のことを指す。閣僚、閣員とも言われる。
目次 |
法令上の「国務大臣」は、広義には内閣を構成する内閣総理大臣及びその他の大臣すべてを含み、狭義には内閣総理大臣以外の大臣のみを指す。
広義の意味で「国務大臣」の語が用いられている例としては、日本国憲法第63条(国務大臣の議院出席の権利義務)や日本国憲法第66条第1項及び同条第2項(内閣の組織)などがある。これらの条文では「内閣総理大臣その他の国務大臣」と表現されており、「国務大臣」の概念が内閣総理大臣たる国務大臣とその他の国務大臣の双方を含む意味で用いられている。
狭義の意味で「国務大臣」の語が用いられている例としては、日本国憲法第68条第1項や同条第2項(国務大臣の任命と罷免)などがある。例えば日本国憲法第68条第1項前段は「内閣総理大臣は、国務大臣を任命する」と規定しているが、内閣総理大臣はそもそも国会の指名に基づいて天皇により任命されるので(日本国憲法第6条第1項)、日本国憲法第68条第1項前段の「国務大臣」には内閣総理大臣は含まれないことになる。
なお、内閣法第2条第2項で、「国務大臣の数は、14人以内とする。ただし、特別に必要がある場合においては、3人を限度にその数を増加し、17人以内とすることができる。」とし、内閣法第3条第2項は「行政事務を分担管理しない大臣の存することを妨げるものではない」として無任所大臣を置くことを認めているが、主任の大臣ではない国務大臣(無任所大臣)には法律上の正式な呼称がない(詳細については無任所大臣の項目の「新憲法下における「無任所国務大臣」」の節を参照のこと)。そのため、内閣の構成員の一覧表などでは主任の大臣以外の大臣について単に「国務大臣」となっている場合がある。
行政学などでは講学上、国務大臣と行政大臣に分けて論じられる場合がある。行政大臣は主任の大臣とも呼ばれ、各省の長として、特定の行政分野を担当している国務大臣を指す。特定の行政分野を担当しない内閣官房長官、内閣府特命担当大臣、無任所国務大臣(班列)などに対する概念である。
内閣法は、すべての国務大臣は「案件に如何にかかわらず、議案を閣議に提出することができる」趣旨の規定があるが、実際の運用としては、主任の大臣以外の国務大臣が閣議を求める事はない。例えば内閣府特命担当大臣の場合、内閣府の主任の大臣である内閣総理大臣に議案を上申したうえで、内閣総理大臣が閣議を請議することになる。
内閣総理大臣と国務大臣は憲法上文民でなければならず、その過半数を国会議員にて構成しなければならない。
日本国憲法第68条において
と規定されている。
国務大臣の身分は国家公務員法第2条第3項において、特別職の国家公務員とされる。
一般的に国務大臣という場合には内閣総理大臣を含めていう時とそうでない時がある。内閣総理大臣は国会の議決により指名され、天皇から任命される(親任式)。
内閣総理大臣以外の国務大臣は内閣総理大臣により任命され、天皇から認証される(認証官任命式)。なお、宮中の親任式及び認証官任命式で授与される「官記」は単に内閣総理大臣又は国務大臣としての任命・認証であり、どの行政事務を担当するかの辞令(例:「総務大臣を命ずる」)は式後に官邸で内閣総理大臣から発令される(これを「補職」・「補職辞令」という)。
外交上の敬称としては交渉国との間で主に大臣閣下という敬称と本官に相当する本大臣という自称で呼び合うこととなっている。また、自衛隊を所管する大臣はその就退任に栄誉礼を受ける。
なお、国会議員でペンネーム(タレント時代などの芸名や、判り易く一部をひらがなにする)等にしてある場合、国務大臣に任命される際には戸籍に登録されている本名で任命を受け、連署・署名など国務大臣として行う場合は本名でなくてはならない。
国務大臣は両議院での議席の有無に関わらず、議案について発言するために議院に出席をすることが出来る。答弁または説明のために出席を求められた際は出席しなければならない(憲法第63条)。
法律及び政令には国務大臣の署名を必要とする(憲法第74条)。
国務大臣はその在任中、内閣総理大臣の同意なくして訴追(※)されない(憲法第75条)。
内閣法では内閣総理大臣を除く国務大臣の数は原則14人とされ、必要であればさらに3人まで任命できることとなっている。
詳細は「副総理」を参照
日本には、他国の副首相に相当する官職は存在しない。ただし、2000年4月までは内閣法第9条に定める内閣総理大臣臨時代理に(期間限定なしに)指定された大物閣僚を副総理と呼ぶ慣行があった。
内閣総理大臣及び各省大臣(上記一覧の防衛大臣まで)は内閣法上「主任の大臣」と呼ばれ、担当国務に関係する法律、政令を公布する際その末尾に連署・副署することが義務づけられている。
なお、「主任の大臣」以外の大臣(上記一覧の内閣官房長官以下)は、連署・副署をしない。ただし、「主任の大臣」の誰かが外遊等で国内不在となる場合に一時的にその臨時代理を命ぜられることがあり、その際は連署・副署に名を連ねることとなる。
「特命担当大臣」も参照
複数の省庁に関係するような国政の重要事項については一省庁の所掌とせず、専任の重要事項担当部署(局・対策室など)を省庁より格上の内閣官房か内閣府に設置して、最高責任者である内閣総理大臣の下で総合的に処理する場合がある。これら重要事項担当部署の長(局長・対策室長など)は、通例官僚が任命されるが、それら局長等と内閣総理大臣との間に総括的な責任者として担当大臣が置かれることがある。重要事項担当部署が内閣府にある場合、その担当大臣のことを法律上「特命担当大臣」(官報辞令上は「内閣府特命担当大臣」)と言う。一方、重要事項担当部署が内閣官房にある場合その担当大臣の正式呼称は特に法定されていない。
詳細は「内閣総理大臣臨時代理」を参照
内閣法第9条に「内閣総理大臣に事故のあるとき、又は内閣総理大臣が欠けたときは、その予め指定する国務大臣が、臨時に、内閣総理大臣の職務を行う」と規定されており、内閣総理大臣が死亡・病気・海外出張等で不在となった際には、あらかじめ指定された国務大臣が「内閣総理大臣臨時代理」の職名で職務を行う。2000年4月以降、組閣時に就任予定者5名があらかじめ指定される規定となった。
各省大臣(=主任の大臣)の外遊時等には、「国務大臣の代理には他の国務大臣が就く」という内閣法上の原則に基づき、直属の副大臣ではなく、他の大臣または内閣総理大臣がその臨時代理を務める(例:総務大臣臨時代理)。その人選は内閣総理大臣が行う。
現在、内閣はじめ省庁における大臣以下の政治ポストはかつての政務次官が副大臣や大臣政務官などに再編され、省内における政治任用職も増えたことで、政治主導の流れを強くしつつある状況にある。総理以外の大臣秘書官は定数1名で官庁の外から政治的任用される(通例はその大臣の議員第一秘書などが務めることが多い)。
当該省庁の職員も大臣秘書官と呼ばれるポストに就いて大臣を補佐するが、これは厳密には大臣秘書官事務取扱といい、正規の法定秘書官ではない。大臣以下副大臣・政務官の品位と倫理を維持するため、大臣規範などを定め、汚職の防止や兼職の禁止など自律的な制約を定めている。
詳細は「国務大臣、副大臣及び大臣政務官規範」を参照
詳細は「罷免#国務大臣の罷免」を参照
憲法の規定により、内閣総理大臣は他の国務大臣を任意に罷免することができる。これは、旧憲法下において内閣総理大臣の権限が極めて弱かったために軍部の独走を許したことへの反省からである。
| 死亡年月日 | 氏名 | 内閣 | 役職 | 死因 |
|---|---|---|---|---|
| 1889年(明治22年)2月12日 | 森有礼 | 黒田内閣 | 文部大臣 | 他殺 |
| 1926年(大正14年)9月13日 | 早速整爾 | 第1次若槻内閣 | 大蔵大臣 | 病死 |
| 1936年(昭和11年)2月26日 | 高橋是清 | 岡田内閣 | 大蔵大臣 | 他殺 |
| 1936年(昭和11年)3月27日 | 川崎卓吉 | 廣田内閣 | 商工大臣 | 病死 |
| 1945年(昭和20年)8月15日 | 阿南惟幾 | 鈴木貫太郎内閣 | 陸軍大臣 | 自殺 |
| 1973年(昭和48年)11月23日 | 愛知揆一 | 第2次田中角栄内閣 | 大蔵大臣 | 病死 |
| 1976年(昭和51年)1月15日 | 仮谷忠男 | 三木内閣 | 建設大臣 | 病死 |
| 1987年(昭和62年)1月25日 | 玉置和郎 | 第3次中曽根内閣 | 総務庁長官 | 病死 |
| 2007年(平成19年)5月28日 | 松岡利勝 | 安倍内閣 | 農林水産大臣 | 自殺 |
※ 内閣総理大臣を除く
大臣とは古来からの日本固有の高官職名である。明治期に太政大臣、左大臣、右大臣、内大臣、准大臣といった大臣職が改められ、内閣制度の発足とともに、内閣構成者としての内閣総理大臣及び国務大臣として新たな大臣の職掌が整備された。明治以降も昭和初期まで内大臣・宮内大臣の職が置かれたが、これは閣外の職位であり、国務大臣には含まれず内大臣府・宮内省にあって天皇を補佐する役目であった。
終戦後、自由民主党(昭和30年/1955年)の結党より始まる55年体制の下での大臣の選任は、(人格や識見によることもあったにせよ、概ね各派閥間の均衡を目的とした)いわゆる「派閥の論理」で行われた。
政治家にとって大臣の職は権威の象徴であり、自由民主党では、当選回数5回以上(衆議院議員の場合)が国務大臣の資格の条件とされたが、大臣を拝命していない政治家は大臣待望組といわれた。また大臣になるために執念を燃やしたり、その地位にとらわれることを俗に大臣病といった。
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