| ドラえもん | |
|---|---|
| ジャンル | ギャグ漫画、SF漫画 |
| 漫画 | |
| 作者 | 藤子・F・不二雄 |
| 出版社 | 小学館 |
| 掲載誌 | 小学館の学習雑誌 コロコロコミック てれびくん |
| 発表期間 | 1969年 - 1996年 |
| 巻数 | 45冊(未収録版を除く) |
| ■テンプレート使用方法 ■ノート | |
| ドラえもん |
| 主な記事 |
| 1973年のアニメ(第1作) 1979年のアニメ(第2作1期) 2005年のアニメ(第2作2期) 映画 - 最終回 |
| 人物 |
| ドラえもん のび太 - しずか ジャイアン - スネ夫 その他の一覧 |
| ひみつ道具 |
| 原作 - 原作以外 |
| 関連漫画作品 |
| ドラえもんズ - ドラベース |
| カテゴリ |
| ドラえもん 映画 - 人物 - 道具 歌 - ゲーム - ドラズ |
| テンプレート |
| ドラえもん - 道具 映画作品 - 併映作品 |
| ウィキプロジェクト |
| ドラえもん |
| 関連項目 |
| 藤子・F・不二雄 |
| ドラえもんのひみつ道具 | ||
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| テレビアニメ登場分 | ||
| 第2作1期(→ 一覧) | 第2作2期 | |
| ドラえもんズ登場分(→ 一覧) | ||
| あ〜そ | た〜わ | |
| その他の作品登場分(→ 一覧) | ||
| 大長編、映画ストーリー | 映画 | |
| ウィキプロジェクト ドラえもん |
『ドラえもん』は、藤子・F・不二雄による日本のギャグ漫画作品、SF漫画作品。および作品に登場するキャラクターの名前。
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目次 |
何をしても駄目な小学生、野比のび太と、22世紀から彼のもとにやってきたロボット・ドラえもんの日常生活を描いた作品である。
典型的なプロットは「のび太の身にふりかかった困難を、ひみつ道具で一時的に解決するが、道具を不適切に使い続けた結果、しっぺ返しを受ける」というものである。
このプロットは、作者の描くSF(“すこしふしぎ”)[† 1]を反映しており、当時のSFの唱える "if"(もしも) についての対象を想定した回答であるといえる。
藤子・F・不二雄本人が執筆した作品は全1345話(短編・中編・長編)。
ただしその一部[1][2][3][4][5][6]は、執筆当時のチーフアシスタントであるたかや健二による執筆。
藤子・F・不二雄が逝去した1996年以後もテレビアニメの制作は続き、アニメ映画の漫画版を萩原伸一(むぎわらしんたろう)、岡田康則が執筆している。
本作の連載開始当初は、ドラえもんが騒動を巻き起こすドタバタ劇で、ギャグ漫画としての特色が強く、ストーリー性の強い作品は見られなかった。
しかし、連載が進むにつれて、当初のハチャメチャぶりが影をひそめ、次第にギャグ漫画の特色が薄くなり、作品のストーリー性が強くなっていった。
小学一年から小学六年までと読者層が広範囲に展開されている為、読者の年齢差を意識して、内容面まで描き分けられて連載されていた。
小学一年ならひみつ道具の楽しさが描かれ、小学二年からはのび太が道具からしっぺがえしを受けるなど、進歩がみられる。
小学四年からは、のび太の成長など、ストーリー性が強くなり、小学六年になると、複雑な内容も増えてくる。
物語は、連載が進むにつれて、のび太とドラえもんの関係も発展していく。
ドラえもんはのび太の世話役として、のび太の元へやってくる。当時は、世話をする者とされる者との関係だった。
物語が進むにつれて、二人の仲が変化してくる。そして、ドラえもんはのび太の世話係としての役目を終えて、未来へ帰っていく[7]。
しかし、ドラえもんは世話係としての使命をおってではなく、のび太の元へ再び現れる[8]。二人は友達だから一緒に居る、という関係へと発展したのである。
1969年より、小学館発行学年誌の一部[9]にて連載開始した。いずれも1970年1月号で、当時の作者名義は「藤子不二雄」。
1話ごとに完結する短編として執筆。その後も連載誌を広げ、1980年頃には8本の雑誌に同時連載していた。
また、テレビアニメやアニメーション映画としても展開している。
1980年からはアニメーション映画の原作として単行本1巻分の長編の執筆を開始、これを『大長編ドラえもん』と称している。
映画にふさわしくスケールの大きな舞台で、のび太が仲間と協力して困難を乗り越え、成長する冒険物語が描かれる。
大長編を除く、作者本人の手による最後の単発作品は、中編「ガラパ星から来た男」(45巻収録)となっている。
この作品は連載開始25周年を記念して、『小学三年生』『小学四年生』『小学五年生』の3誌同時に1994年7月号~9月号に集中連載された中編で、『月刊コロコロコミック』の1994年9月号の別冊付録「ドラえもん44.5巻」で完全版として加筆掲載されたものをコミックス収録時に更に加筆した物となる。
2000年度末時点で全世界で1億7000万部以上売られている[10]。1979年発行の単行本第18巻は、初版印刷部数が100万部を記録[11]。
『日経エンタテインメント!』2007年10月号「最後に読みたい本・マンガは何ですか?」というアンケートで一位にランク入りした。
また、小学館が2002年から原作の日英バイリンガル版[† 2]を出版している[12]。他にはアジア各国[† 3]でも現地語の翻訳版が出版されている[13]。
『ドラえもん誕生』[14]によれば、締め切りが迫る中、新連載の構想が浮かばないという切迫した状況にも関わらず、作者の藤本は、アイディアがすぐに思い浮かぶような便利な機械があったらいいのに、などと考えながら空想にふけってしまう。挙げ句の果てには、アイディアが思い浮かばないまま、気分転換に、ドラネコのノミ取りを始めてしまう。その結果、ついに締め切りになってしまい、「わしゃ、破滅じゃー!」と叫びながら階段を駆け下り、娘の起き上がりこぼしにつまずいた瞬間、「ドラネコと起き上がりこぼし」というアイデアが結びつき、ドラえもんが誕生したという。また、ダメな人間を便利な機械で助けるという内容も自分に重ね合わせてこのときに思いついたのだという。
「ドラえもんの登場人物一覧」を参照
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主人公
レギュラー
他の人物
ひみつ道具とは、ドラえもんなどが四次元ポケットから出す未来の道具をさす総称。主に、のび太を助けるためにドラえもんが取り出す。作品中に登場する道具の総数は、富山大学人間発達科学部の横山泰行教授が調査した「1963個」が有力な数字とされている。
それぞれの道具についてはドラえもんの道具一覧およびCategory:ドラえもんの道具を参照。
方倉設定によると、ドラえもんの道具には、ドラえもんの製造時からポケットに組み込まれていた物もあるらしい。しかし実際は未来のデパートからドラえもんが購入してくることが多い。
ドラえもんの買う道具の中には高価な物もあるが、ほとんどは安物であり1回きりの使い捨てである[18]。レンタルで済ますこともある[19]。道具は100ヶ月(すなわち8年4ヶ月)ごとにドラえもんとセワシが定期検査を行い、故障している物は修理に出す[20]。こうしたことから、いざ道具を使いたくても、目当ての道具が故障中、修理中、レンタル先へ返却済みといった理由で使えないことも多い[21]。
使えなくなった物や使い道のない物、また危険な物などは「四次元くずかご」に捨てるか[22]、穴を掘って埋める[23]。未来のデパートから買った物の場合は店員を呼び出して返品するが、返品前にのび太が使って騒動になることも多い[24]。
道具は個人的な用途以外に使用してはいけない規則となっている。例えば道具を金儲けに使うと、莫大な罰金を科せられてしまう[25]。しかし、ドラえもんも金儲けしようとしたことがあった[26]。道具を犯罪に使用するとタイムパトロールに逮捕される[27]。
劇場用アニメ映画が作られることになり、その原作とするために描かれた長編漫画を「大長編ドラえもん」と呼ぶ。通称「大長編」。てんとう虫コロコロコミックスとして発売されている単行本(全24巻)のほか、小学館コロコロ文庫から文庫版も刊行されている(既刊17巻)。
作者没後の作品であるVol.18以降の単行本表紙には、それまでに加えて「まんが版▷映画シリーズ」と記されている。Vol.21からVol.24の4作の単行本には、描き下ろし漫画作品が同時収録されている。
第1作『ドラえもん のび太の恐竜』は、短編作品としてすでに発表されていたものに加筆したもの。『月刊コロコロコミック』1980年1月号から3回にわけて漫画版が連載され、1980年3月15日にアニメ版が劇場公開された。
第1作から毎年、映画公開までに漫画版を集中連載し、漫画が完結したすぐあとの3月初旬から中旬に映画を公開するというスケジュールが確立されていた。『ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記』の漫画版を執筆中に原作者が死去。原作者没後も映画の制作は続き、引き続き藤子・F・不二雄プロが漫画版を執筆した。
てんとう虫コロコロコミックス[† 4]の単行本は、Vol.4『ドラえもん のび太の海底鬼岩城』が第1弾として発売され、その後、Vol.1『のび太の恐竜』→Vol.2『のび太の宇宙開拓史』→Vol.5『のび太の魔界大冒険』→Vol.3『のび太の大魔境』→Vol.6『のび太の宇宙小戦争』という順で発売された。
そのため、『ドラえもん のび太の恐竜』や『ドラえもん のび太の宇宙開拓史』には、映画版の主題歌の歌詞が書かれた描き下ろしページがあるが、『ドラえもん のび太の海底鬼岩城』には主題歌の歌詞が書かれた描き下ろしページがない(藤子不二雄ランドの単行本や映画大全集の本では存在する)。なお、『ドラえもん のび太の魔界大冒険』にも同様のページは存在しない[† 5]。
1988年公開の映画『ドラえもん のび太のパラレル西遊記』の漫画版は、作者の体調不良のため執筆されなかった。そのため『ドラえもん のび太の日本誕生』以降の作品の漫画版は、映画版のそれよりも作品数が1つ少なくなっている。
『ドラえもん のび太と雲の王国』(VOL.12)は作者病気のため最終2話が連載当時執筆されず、数年後に『ドラえもんクラブ』という雑誌に執筆したため、次の『ドラえもん のび太とブリキの迷宮』(VOL.13)よりも後に単行本が刊行された。なお最終2話が掲載される予定だった『月刊コロコロコミック』の該当号には、「ビジュアルストーリー」と題した、イラストと文からなる記事を藤子・F・不二雄プロが執筆した。連載第4回以降を補足する意味で書かれた「ビジュアルストーリー」は映画と漫画のどちらの物語展開とも異なる内容であり、過去のどの関連書籍にも収録されていない。
『ドラえもん のび太の恐竜2006』(2006年公開)公開時には「特製アクションバッジ」とセットになった『ドラえもん のび太の恐竜』の単行本が、『ドラえもん のび太の新魔界大冒険 〜7人の魔法使い〜』(2007年公開)公開時には「マジカル両面ストラップ」とセットになった『ドラえもん のび太の魔界大冒険』の単行本が発売された。
『ドラえもん のび太の恐竜2006』(2006年公開)以降の映画は「大長編ドラえもん」としては漫画版が執筆されていない。だが『ドラえもん のび太の新魔界大冒険 〜7人の魔法使い〜』(2007年公開)以降は「映画ストーリー」として岡田康則(単行本では「藤子・F・不二雄プロ」名義)が漫画版を執筆している。単行本は既刊2巻。
大長編ドラえもんは映画化を前提に描かれており、短編に比べて物語の規模が大きいのが特徴。短編では狭い町内を舞台に数人の友達だけで物語が進むことが多いが、このシリーズでは大昔の地球や他の惑星といった非日常の世界を舞台に、その世界の住人や強力な敵などさまざまな人物が登場する。いつもはダメな少年のび太が大長編では大活躍し[† 6]、ジャイアンもいじめっ子としてよりも頼れるいいやつとしての表現が顕著になる。また、スネ夫は基本的に5人の中で1番の弱虫になっている。
このシリーズでは主要なメンバーがのび太、ドラえもん、ジャイアン、スネ夫、しずかの5人に固定されており、基本的に5人とその話のゲストキャラを含めた自力で危機を解決し、この5人以外の現在の地球人が問題解決の本筋に介入することはない。こうした事情のため、短編とは人間関係がやや異なる。たとえば、短編ではジャイアンやスネ夫がのび太をバカにしたり仲間はずれにした仕返しに(ここまでは大長編でも導入によく使われる)、2人(特にジャイアン)を仲間はずれにして、しずかや他の町の同級生たちと道具で遊ぶことがある。しかし、大長編ではジャイアンを締め出そうとして失敗することはあっても、結局は仲間になる。逆に、短編なら不特定多数の町の子供を誘うような場合でも、大長編では「いつもの5人」以外の町の子供は仲間に入れようとせず、興味を持たれると嘘を吐いてまでして追い返している(『ドラえもん のび太の日本誕生』、『ドラえもん のび太と雲の王国』)。
のび太のママを始め、のび太たちの親は基本的にはのび太たちの冒険に気付いていない。ただし、『ドラえもん のび太の宇宙小戦争』にてピリカ星のパピをかくまったときは、のび太の両親も受け入れているため、異星人を認知したことになる。また、遺作となった『ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記』では、のび太たちが過去に「危険な大冒険」をしていたことに気付いており、他の母親と一緒に、のび太たちが冒険に興じてないか様子を見に来る描写がある。
自他ともに認める作者の代表作であり、国際的に知られる作品でもある。第2回(昭和47年)日本漫画家協会賞優秀賞、第27回(昭和56年度)小学館漫画賞、第1回(1997年)手塚治虫文化賞マンガ大賞、第23回(1994年)日本漫画家協会賞文部大臣賞を受賞している。本作を執筆中に藤子が逝去した際、「代表作であり、同時にライフワークであった」とも関係者・読者に再認識させた。
小学校の教科書に『ドラえもん』のキャラクターが登場したり、千葉大学の入試問題で「ドラえもんの道具を一つ選んでそれが実現可能かどうか検討せよ」という内容の小論文が課されたり、2002年のセンター試験総合理科でドラえもんの道具が取り扱われたりと、日本では一般的な知識として扱われている。
2002年には、タイムアジア版の「アジアのヒーロー」25人の一人としてドラえもんが選出された。[28]
2005年、日本財団がニューヨークで行った展覧会「リトル・ボーイ:日本の爆発するサブカルチャー作品」は、本作を日本の文化にとって重要な作品として位置づけている。
『ドラえもん』は漫画・アニメ・映画とも日本語以外にも翻訳され、人気作品となっている。1970年代にはすでに香港で、そして台湾で中国語の海賊版が出版されており、また日本文化が当時解放されていなかった韓国でも海賊版が横行した。そのため韓国、中国などでは日本の本家ドラえもんの方がコピーであると過去に誤解されたこともあった。[29]海賊版は現在でも東南アジアで広く見られている。また、木村純一プロデューサー(当時)によると、東南アジアにおいては視聴率が70%を超えることもざらにあるという[30]。
漫画は1991年以降、東アジア、東南アジア、ヨーロッパを中心に翻訳がなされている。中国・台湾・マレーシアなどの中国語表記は長らく"机器猫"、"小叮噹"などとなっていたが、原作者サイドより原音に近い発音に変えてほしいとの要請があり、97年以降の正規出版物は"哆啦A夢"に統一されている(いまだに「小叮噹」と書いてあるものはまず海賊版)。それと同じく韓国表記は"도라에몽"(読みは「トラエモン」または「ドラエモン」)、その他の国のほとんどは"Doraemon"となっている。
アニメーションは他に中南米(ブラジル、コロンビア、チリ、アルゼンチン、エクアドル、パナマ、メキシコ、プエルトリコ、ボリビア、ベネズエラ)、ヨーロッパ(スペイン、イタリア、フランス)、アラビア語圏(アルジェリア、チュニジア、リビア、サウジアラビア、カタール、UAE、オマーン)、東アジア(韓国、香港、台湾)、東南アジア(インドネシア、マレーシア、タイ王国)、南アジア(インド)、ロシア連邦、イスラエルでも放送されている(アラビア語圏(عبقور)、パナマからベネズエラの5つの国および地域、ロシア連邦では放送終了)。
本作が出版されたおもな国および地域は、香港、台湾、中国、韓国、ベトナム、マレーシア、シンガポール、タイ王国、インドネシア、キプロス、イタリア、スペイン、フランスである。スペインではスペイン語(カスティーリャ語)、カタルーニャ語を含む5言語で出版された。東南アジア諸国では、ママがドラえもんの道具でやり込められると子供が大喜びする[31]という特徴が見られる。
また、各国のコミック雑誌(香港青文社「HAPPY DRAGON 快樂龍」など)にも連載されている。[32]
未収録作品も含めた1344話すべての作品をそろえた「ドラえもん文庫」が2004年に開設された。場所は、作者の出身地で知られる富山県高岡市の高岡駅前再開発ビル「ウイング・ウイング」内の高岡市立中央図書館の「ドラえもんコーナー」と、富山大学横山研究室である。このコーナーはドラえもん研究で知られる富山大学の横山泰行教授が、収集した単行本計671冊を寄贈、図書館側も協力して実現した。
同コーナーは、収集家の間でも入手困難とされる初版初刷の単行本1巻から10巻を含む全45巻を所蔵。すべての雑誌類に掲載された全作品を原寸大で複写し、フルカラー作品はすべてフルカラーで複写して、それを製本化して収めている。
また、「コロコロ創刊25周年記念 名作劇場ドラえもん」と冠して『月刊コロコロコミック』2002年4月号から再掲載されている。
この他に、最初のアニメ化に合わせて虫プロ商事の虫コミックスにて初の単行本が刊行される予定があったが、発行の前に虫プロ商事が倒産したため幻になったといわれている。
1972年頃、うしおそうじ主宰のピー・プロダクション制作、フジテレビをキー局とした企画があったという。この際にドラえもんの声優として挙がっていたのが、奇しくも大山のぶ代だった。大山の起用は、先に『ハリスの旋風』での好演を見込まれてのことだった。この作品は実写版だったらしく、既にドラえもんの着ぐるみまで試作されていたものの、諸事情で実現はされなかった。 [34] 映画ファンの藤子の要望としてドラえもん実写化というのはある程度念頭にあったらしく、90年代に東宝製作の実写映画の短編をアニメの劇場版と同時上映するという噂もあった。その映画ではドラえもんはCGだといわれていたが、後にCMフィルムで何度かその形式の実写化は実現している。[35]
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