サイパン島


サイパン島
座標 北緯15度10分51秒 東経145度45分21秒 / 15.18083°N 145.75583°E / 15.18083; 145.75583
面積 115.39km²
最高標高 473m
所在海域 ミクロネシア
所属国・地域 北マリアナ諸島
  

世界 > オセアニア > ミクロネシア > アメリカ合衆国 > 北マリアナ諸島 > サイパン島 サイパン島(サイパンとう、Saipan Island)は、アメリカ合衆国自治領である北マリアナ諸島の中心的なであり、首都ススペ (Susupe) も同島にある。

目次

地理

サイパンの位置

北緯15°15'東経145°45'で、面積は122km²、人口58,000人。付属島としてマニャガハ島がある。サイパン島の北にはファラリョン・デ・メディニラ島、南にはサイパン海峡を挟んでテニアン島 (TinianIsland) がある。島の最高所はタポーチョ山の473m。

町・村

  • アチュガオ(Achugau)
  • アフテナ(Afetna)
  • アスリート(As Lito)
  • アスマチュイス(As Matuis)
  • アスペルディード(As Perdido)
  • (As Terlaje)
  • キャピタルヒル(Capitol Hill)
  • チャランカノア(Chalan Kanoa)
  • チャランラウラウ(Chalan Laulau)
  • チャランピアオ(Chalan Piao)
  • ダンダン(Dandan)
  • フィナシス(Fina Sisu)
  • ガラパン(Garapan)
  • カグマン(Kagman)
  • コブラーヴィル(Koblerville)
  • ラウラウ(Laulau)
  • マッピ(Marpi)
  • ネイビーヒル(Navy Hill)
  • パパゴ(Papago)
  • サンアントニオ(San Antonio)
  • サンロケ(San Roque)
  • サンヴィセンテ(San Vicente)
  • ススペ(Susupe)
  • タナパグ(Tanapag)
  • タポチョ(Tapochau)
  • グアロライ(Gualo Rai)

気候

年間を通して高温多湿で、気温変化が少ない海洋性亜熱帯気候である。平均気温は27℃と常夏の島であり1年中泳ぐことができる。

季節の変わり目が明瞭でないが、乾季(11月 - 3月位)と雨季(4月 - 10月位)の2季に分けられる。雨はスコール驟雨)が多い。湿度が高く近隣の海洋上では熱帯性低気圧が発生する地域でもある。

歴史

スペイン統治時代

1521年3月6日マゼランがヨーロッパ人として初めてマリアナ諸島を発見し、1565年にはマリアナ諸島の領有を西欧諸国に布告した。それ以降3世紀に渡りスペインの統治下にあった。

1668年イエズス会のサンヴィトレス神父を長とする伝道使節団がマリアナ諸島のグアム島に来訪して以来、マリアナ諸島全域で住民のキリスト教化が始まった。当初はその布教は順調であったが、島民の旧習に干渉する神父たちに次第に島民は反感を抱くようになり、1670年1月にサイパン島で島民による伝道師殺害事件が起きた。この事件がその後十数年に及ぶスペイン=チャモロ戦争の発端となり、スペインは軍隊を派遣して島民を虐殺した。

その後、1695年にスペインはサイパン以北のマリアナ諸島の島民をサイパン島に強制移住させた。だが、すぐにそれらの島民も1698年にサイパン島に元からいた住民と共にグアム島へ強制移住させられ、サイパンは一時無人島となった。

1815年にはカロリン諸島サタワル島から酋長アグルブに率いられた一団が移住し、更にスペインはチャモロ人の帰島を認めたため再び同島は有人島となった。

ドイツ統治時代

空から見たサイパン島

1898年米西戦争でスペインの支配は終わりドイツに売却される。ドイツは開拓を放棄し、同島を流刑地に選んだ。

日本統治時代

1914年7月第一次世界大戦が勃発し、10月14日には連合国側であった日本赤道以北の南洋諸島全体を占領した。この事に伴い、日本国内では彩帆島と呼称される事となる。1920年には国際連盟委任統治領となり、同島には南洋庁サイパン支庁が置かれ、サイパン島は内地から南洋への玄関口として栄えた。

1943年8月の時点での人口は日本人(植民地の台湾人、朝鮮民族含む)29,348人、チャモロ人、カナカ人3,926人、外国人11人となっていた。

第二次世界大戦

詳細は「サイパンの戦い」を参照

第二次世界大戦中は、日本軍司令部があったこともあり、1944年6月アメリカ軍をはじめとする連合国軍の上陸の際には住民を巻き込んでの激しい戦闘によって多数の犠牲者を出した。現在でもバンザイクリフ (Banzai Cliff) やスーサイドクリフ (Suicide Cliff) など島のあちこちに戦争の名残がある。

戦後

1945年8月の、日本の敗戦により同島は連合国の1国であるアメリカ軍の軍政下に置かれたが、1947年国際連合アメリカ合衆国信託統治領となった。1981年1月9日、アメリカ合衆国内の自治領、北マリアナ諸島としてアメリカ合衆国内に留まったが、北マリアナ諸島以外は次々と分離独立していった。

第二次世界大戦終戦後60年にあたる2005年6月27日 - 6月28日にかけて今上天皇皇后が戦没者を慰霊する為、史上初めて友好親善でない慰霊目的だけの海外訪問として当地に行幸した。

現況

以前は、訪れる観光客の大多数は日本人であったが、最近は日本人の渡航先が多様化した上に、日本航空便の運休の影響で、日本人観光客は減少傾向にある。代わって大韓民国中華人民共和国からの観光客が増加している。合衆国本土よりも入国審査がゆるやか(指紋採取が行われない)なためか、韓国経由などで訪れるロシア人観光客も見かけるようになった。

交通

航空

サイパン国際空港には、成田国際空港関西国際空港中部国際空港から毎日直行便が運航している。現在、日本からの定期便運航はアメリカ系のノースウエスト航空と、アシアナ航空(関西国際空港のみ)が直行便を就航させている。チャーター便では日本航空やコンチネンタル航空が直行便を運航している。

日本からは、直行便以外ではグアムを経由してサイパンに入るコースが多い。コンチネンタル航空が札幌、仙台、新潟、岡山、広島、福岡からグアム経由便を運航中。また、上記のグアムやテニアンソウル上海等への国際定期線も運航されている。

島内

日本統治時代にはおもにサトウキビ運搬のための鉄道があったが、現在島内には鉄道が無いために、バスタクシーレンタカースクーターなどでの移動が一般的である。

以前は九州産業交通の現地法人である「サイパン産交」が貸切バス事業を行なっていたが、九州産業交通の産業再生機構活用による事業再編の一環として売却された。

観光

マリンスポーツ

マイクロビーチ

日本から3時間程度で行けるため、テニアン島、ロタ島などの日本人を対象にしたマリンレジャー(マニャガハ島近傍のビーチ、スクーバダイビングウィンドサーフィンウェイクボードスピアフィッシング釣り潜水艇などによる水中展望など)が人気である。海の透明度は場所と季節によっては60mにもなり、世界有数の美しい海でもある。アウトリーフではサーフィンも可能(上級者向け)。

各種スポーツ

またスカイレジャー(セスナなどの小型機の操縦、スカイダイビングなど)やゴルフなどのスポーツも人気があり、この様なことから、マリアナ政府観光局はスポーツによる観光客招致に力を入れはじめており、マラソントライアスロン、エクステラ(オフロードトライアスロン)の大会が開催されている。いずれのコースも参加者から非常に評価が高く、隠れた魅力となっており、今後の盛り上がりが期待される。なお、かつては近鉄バファローズのキャンプ地でもあった。

買い物

なおサイパンは、関税消費税などの間接税がかからないため、免税店DFS)以外でも全島で免税で買い物ができる利点がある。

飲食

日本人観光客が多いことから、ホテルや免税店、土産物屋など殆どの場所で日本語が通じる。市中の商店や居酒屋食堂などの多くは中国人や韓国人が経営しているが、片言の日本語が通じる店も多い。

その他の見どころ

また、サイパン島には屋内射撃場(屋外射撃場は過去に流れ弾で死傷者が出たために禁止)がいくつか存在していおり、拳銃は法規制で撃てないが、ライフルショットガンを撃つことは可能となっている。なお、テニアン島にはカジノがある。また、サイパン植物園という植物園があり、コースに組み込まれているツアーもある。

長期滞在

現在55歳以上の日本人に対して、特例でビザなしの長期滞在が認められる制度がある。なお、韓国からは、「英語ができると将来有利である」との理由から、小学校や中学校へ母親連れで留学にきている家族もある。

名産物

ボージョーボ人形(BO JO BO Wishing Doll)
マリアナ諸島の先住民チャモロ族の間で古くから親しまれていた願掛け人形。「ボージョーボ(Bo jo bo、和名ウジルカンダ)」と現地で呼ばれているツタ性の植物の種を体や頭部に使い作られている。その手足の組み方で様々な願いが叶うとされている。日本テレビの『ザ!世界仰天ニュース』で取り上げられてから爆発的な人気となった。

関連項目

外部リンク

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