アシア属州(provincia Asia)は、古代ローマ時代のアナトリア半島西部に存在した属州であり、元老院属州に区分された。古くフリギアと呼ばれ、ギリシア神話やホメロスのイリアスにも名が挙がっており、早くより文明化していた地域であった。
その後、アッタロス朝ペルガモン王国の支配下に入ったが、紀元前133年にペルガモンが共和政ローマへ統合され、ローマはフリギアをアシア及びガラティアの2つの属州へ分割したことにより、アシア属州は発足することとなった。なお、アシア属州は古名のフリギアの別名で称された。
3世紀の軍人皇帝時代にはローマ内が大混乱に陥ったことからゴート族の侵入や、パルミラ王国の圧力に晒された。ディオクレティアヌス帝はアシア属州を7つの州へと分割したが、エフェソスやサルディス(Sardis)といった古くからの伝統を持つ都市が発展した一方で、未開の内陸部は衰退することとなった。
395年にローマ帝国が東西に分裂し、同じ東方属州であったシリア属州やエジプト属州がイスラム勢力に飲み込まれた後も、アシア属州の一部は15世紀まで東ローマ帝国の属州として存続することとなった。
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